【刀剣乱舞宴奏会】清光と歩んだ3年間と、それを彩った音楽のこと

刀剣乱舞宴奏会仙台公演に行くかどうか、相当迷ったけど前日にチケットを取った。朝8時に出るバスを深夜2時に予約するくらいギリギリの選択だった。でも、行かなければ後悔するんじゃないかと、やっぱり思ったから。

刀剣乱舞がオーケストラするらしいよ、って初めて聞いたときは、正直まあ行かなくてもいいか……と思っていた。オーケストラにあんまり興味がなかったし、私の初期刀・加州清光は仙台公演担当らしいし。九州生まれの私にとって東北は遠い異国で、仙台にどうやって行けばいいのか見当もつかなかったし、しかも平日だし……。でも平日仙台というスケジュールのおかげで前日でもチケット取れたんですけどね……。

前日に強行有給申請をして、仙台行きのバスに揺られながら「ここまでしてつまんなかったらど~しよ~~」「貴重な有給を使って仙台に日本刀のオーケストラを聞きに行く独身女性どう思う?」「てか日本刀のオーケストラって何??」とずっと友達にLINEしていた。情緒不安定かよ

 

 


結論から言うと、開始1秒で泣いて、終わるまでずっとわんわん泣いてた。

 

 

 

自分でも信じられないくらい泣いた。最初のOP曲が流れた時点で、あ、これだめだ泣く、と思ったらもう止められなかった。そのあと、清光の近侍曲が流れ出したときには全身が震えて震えて、嗚咽漏れるの我慢しなきゃと思うほどボロボロ泣いた。

 

刀オケの何が凄かったって、構成が完全に「ゲームプレイヤー向け」だったことだ。刀剣乱舞というコンテンツは、元はブラウザゲームなんだけど、今や2.5次元舞台にもアニメにももうなんにでも展開を広げており、いろんな切り口から楽しめるコンテンツになっていて、なんなら原作ゲームが一番ストーリーがなくて単純な作業ゲーで、未だにゲーム触ってる人は選ばれし者だね、なんて、自分たちでもネタにしてるくらいだったのに。

 

初期刀の近侍曲が終わったら、ゲームBGMをオーケストラと和楽器がそりゃあもう荘厳に演奏してくれて、人生で何百回も(多分それ以上に)聴いてるゲームのただのBGMがこんなに奥深く聴こえるもの!?とびっくりした。それから、ゲーム画面と一緒にオーケストラは進んでいき、小夜や薬研や骨喰たちが顕現して、そうそう、最初に来たのこの子たちだった!!!ってめちゃめちゃ思った。なんなら多分私はここで一番泣いてた。この時点で周りからも泣き声が聞こえてきていて、わかる、わかるよと思いながら私も泣いた。ここにいる女の子たちの気持ちが、私にはわかる。

 

 

前半の終わりに内番曲と内番開始セリフのシーンが流れ、休憩時間中は「内番中…」の看板が映し出されて、後半の始めにも内番曲と内番終了セリフのシーンが流れるという演出には胸が熱くなったし、「内番中…」の画面ひとつで客席からは拍手と歓声がおきた。そう、楽しかったのだ。

 

それから、親の顔より見た阿津賀志山!!!本当に、何周したことだろう。阿津賀志山のボスを倒すと、三日月宗近が顕現するゲーム画面が映るんだけど、このときの気持ちをなんと呼べばいいのかわからない。この客席にいるみんなが、初期刀も好きな刀もゲームを始めた時期もバラバラであろうひとたちが、「阿津賀志山を回って三日月宗近を探す」という経験を共有しているってとんでもないことだと思った。

 

 

 

私の本丸に三日月が来てくれたのはなんと私の誕生日で、そういうことを一気に思い出した。あのときの、三日月宗近ってやっぱり特別なんだと感嘆した気持ちと、ようやく一区切りだと思ったことと、でもここからがまたスタートだと思ったこと。寒い2月の日、出張先のホテルでのことだった。

私が三日月に出会った日に特別な思い出があるように、ここに集ってる人たちにもそれぞれに三日月が顕現したときの自分だけのエピソードがあるんだろうなあと思った。

 

後半は、いち兄や鶯丸、安定や兼さんといった、人気メンバー選抜(?笑)の近侍曲が美しく演奏されていった。初めて近侍曲をちゃんと聴く子たちもいてすごく面白かった。本当にキャラクターに合った曲が作られている!!と思ってどきどきした。特に好きだったのは安定!彼の生き様を体現するようなドラマチックな曲だと思った。

 

最後の近侍曲は三日月で、そこもやっぱり、三日月は特別で作品の顔、っていう刀剣乱舞の軸をばしーん!と叩きつけられたようでくらくらした。あまりに美しく荘厳で雅な近侍曲だ。ライトアップや画面の移り変わりもあいまって、本当に幻想的な演目だった。三日月宗近は永遠の特別枠なんだよね、って何度も頷いて、どんな展開でも絶対に「三日月宗近が作品の顔」と言い続けていた刀剣乱舞の姿勢に圧倒された。何が起きても、どんなメディアミックスの中でも、そこが絶対に揺るがなかったから信じ続けられたんだと思った。

 

最後の演奏曲『夢現乱舞抄』は本当に本当にかっこよくて大泣きした。こんなの、毎日ゲームの最初に流れるし、いつも2秒でスキップするじゃん!!笑 という感じなんだけど、オーケストラで演奏するとこんなに迫力があってかっこいいメロディーなの!?と思って本当にドキドキした。オケと和楽器とコーラスの美しすぎる調和に、ダダダダッと流れていく刀剣男士たちの真剣必殺の映像……。胸の高鳴りがとまらなかった。今回の刀オケのために描きおろされた三日月の背中のイラストが映る瞬間のあまりの美しさに息を呑んだ。

 

 

帰り道、いろんなことを考えた。まず、オーケストラのひとたち、この仕事を請けてくれてありがとうって本気で思った。それと同時に、私は普段2.5次元の舞台を観ながら(これに出てる男の子たち、コスプレみたいな格好してオタク女にキャーキャー言われる仕事なんてしたくないだろうな…すまんな…)とか思ってしまうタチなんだけど、今回はその100倍思った。音楽を仕事にする人なんて、本当に一握りで、そのすべての人たちが子どものときから1日何時間も楽器を練習して、音大に行って、海外の音大に留学して、途方も無いお金をかけてプロになることはなんとなく知っていたから、そこまでしてプロの音楽家になったひとたちなんだから、クラシック音楽とかしたいんじゃなかろうか…ゲーム音楽なんてしたくないんじゃなかろうか…と謎に後ろめたい気持ちになった。なんかそんなことを思ってしまったので、学生オケをしていた友達に刀オケの話をしたら「でもねえ、クラシックのオーケストラ聴きに行く人なんてほんっとうにいなくて、お金持ってるおじいちゃんおばあちゃんとかしかいないわけで、若手の指揮者とか音楽家のひとでこのままじゃダメだと思ってる人は、ゲーム音楽とか映画音楽とかのポップカルチャーとのコラボ仕事とかに積極的に取り組んでる人も多いよ。刀オケの仕事に参加した人たちにもメリットはあるから、そんな気持ちにならなくて大丈夫だよ」みたいな話をしてくれた。そうであってくれと願う。これは本当にエゴなんだけど、この仕事に参加してよかったと少しでも思ってもらえてるといいなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

指揮者の角田さんのTwitterはあんまりにも優しくて、何回も何回も何回も読み返した。東京千秋楽の最後の一言はほんとずるい、素敵な方に振ってもらえて良かったなあ……。

 

 

それから、刀オケは何があんなに泣けたんだろう、とぐるぐる考えた。悲しいわけでも切ないわけでもないのに、ただただ胸がいっぱいになって泣くという感覚に自分でも困惑して、この気持ちを言語化するのはとても難しいと思った。別にこのゲームは誰かが死ぬわけじゃないし*1、特別悲惨なことが起こるわけでもないのに、何がこんなに涙腺を刺激するんだろう。

そう思って、学生時代「ゲーム音楽の転用」について論文を書いていた友達に連絡をとったら「それはねえ、ノスタルジーだよ」と教えてくれた。「オーケストラは『ほんもの』の概念を有するハイカルチャーでしょう。1回きりしか聴けないなまものだけが持つ特有の力が、あなたにとっても1回きりの経験である『三日月が顕現した瞬間』の気持ちを反復する機能を有しいて、本来なら絶対に思い出すことのできないプレイ当時の気持ちを思い出すことができる、だから心が動かされるんだよ」*2と。そういうことだったのか…と思った。わざわざ仙台までオーケストラを聴きに行く価値はここにあったのだ。

 

多分だけど、刀オケの企画を考えた人は、泣かせようと思って構成を作っていないと思うし、指揮者のひともオーケストラのひとたちも、ここに音楽を聴きに来た女の子たちがなんでこんなに泣くのか、わからなかったと思います。だけど私は、ここで号泣している女の子たちの気持ちが痛いほどわかって、わかって、胸がいっぱいで、刀剣乱舞というコンテンツはどれほどの愛を背負ってここまで来たのだろう、と思って気が遠くなった。

 

刀剣乱舞を始めてから3年間、全部が全部素晴らしかったわけじゃない。ゲームは基本的に作業ゲーだし、アニメの脚本はメチャクチャだったし*3、アニメスタッフが起こした炎上騒ぎやクラスタのマナーの悪さなんかの細かい揉め事なんてほとんど毎日のように起きてるし、「とうらぶクラスタは学級会のための学級会をしてる」なんて揶揄されてたこともあるし、他にも、いろいろ、思うことなんて山ほどあって、やりきれないことも本気で怒ったことも、片手じゃ数え切れない。

だけど刀オケを聴きながら、ああ、本当はもっと単純だった、と思った。

 

好きだから刀剣乱舞を追いかけてるんだ、とそのとき本当に思った。たった一言、そのことだけが頭に浮かんで、どうしようもなく胸が震えた。

 

ただ好きだからゲームを起動していた最初の日々のことを想った。清光に会いたくて、仲間を増やしてあげたくて、みんなを強くしてあげたくて、毎日、次の合戦場に行けるよう、手探りで触っていた日々のこと。それから、日本号が実装されて彼のことを本当に好きで、寝ても覚めても日本号のことを考えていた毎日のこと。とうらぶをしていなかったら出会わなかった友達もたくさんできた。

あまりにも多くのことを教えてもらった。この国では日本刀に名前がついていることも、日本刀が国宝や重要文化財に指定されていることも、美術館や博物館で見れることも、そもそも何にも知らなかった。最初は誰の名前も難しくて読めなかったのに、いつの間にか全員の名前も来歴も頭に入っている。そういえば、オーケストラが、プロ野球の球団みたいに日本の各地にあることも今回初めて知った。

それから、自分が日本のどこへでも行けるとわかったこと。日本刀が展示されている博物館に、何回も足を運んだ。東京にも愛知にも京都にも福岡にも熊本にも行った。こうして今日仙台にまで来た。刀剣乱舞をしていなかったら、来ることはなかったかもしれない。

 

同田貫正国を見たくて熊本まで行ったとき、ついでに熊本観光をしようと思って見に行った重要文化財は、その1年後に震災で全壊した。もう一生、元の姿を見ることはできない。見ることができて幸運だった。もし刀剣乱舞をしていなかったら?

 

そういう、作り手の意図を離れて個人の人生と溶け合うものがあまりにも多すぎる。刀剣乱舞を好きでいつづけたひとたちが、このゲームの何が好きでずっと追いかけてきたのかを、オーケストラは証明してくれたんだと思った。

 

 

 

 

刀剣乱舞のことを好きになってから3年間、楽しかったなあとしみじみ思った。私はずっと刀剣乱舞の世界観に惚れ込んでいて、その中心にはずっと清光がいた。刀剣男士みんなのことが好きだし、推しと呼ぶ子は他にもいるけど、いつかゲームが終わるときが来たら、最後の日の近侍はやっぱり清光にするだろう。私の人生に寄り添って一緒に歩んでくれてありがとう。これからも、どうぞよろしく。

そしてひとり先を見据える三日月さま。初期刀と私が共闘する仲間だとしたら三日月は私たち全員を率いる先導者だと思った。私は駆ける。三日月の背中を追いかけて。今までも、これからも、道標を作ってくれるのはいつだって三日月だ。私も走る、その背中についていくよ。

 

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清光の手を握って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:場合によるけど…

*2:つまり、『いま』『ここに』しかない芸術作品特有の一回性(=アウラ)を持つオーケストラが、本来絶対に反復することのできない、ゲーム体験をプレイしていた当時のことを思い出させる機能を果たすということ。詳しくはベンヤミンの『複製技術時代の芸術』(1965)参照

*3:個人の感想です